2014-10-03 第187回国会 衆議院 予算委員会 第2号
○稲田委員 私は、総理は保守政治家ではいらっしゃいますけれども、改革派政治家だというふうに思っております。 私自身もそうありたいと思っておりますし、私の政治信条の伝統と創造というのは、伝統だけで、守るだけでは枯渇をしてしまう、よきものを守るためには創造していかなければならない、しかし、伝統のない創造というのはまた空っぽであるということであります。
○稲田委員 私は、総理は保守政治家ではいらっしゃいますけれども、改革派政治家だというふうに思っております。 私自身もそうありたいと思っておりますし、私の政治信条の伝統と創造というのは、伝統だけで、守るだけでは枯渇をしてしまう、よきものを守るためには創造していかなければならない、しかし、伝統のない創造というのはまた空っぽであるということであります。
言うならば、政友会というのは党人派ですから、今回民主党さんが政権をとったのと同じように、官僚政治から党人派政治といいますか、そういう政治的な変換があったことは事実です。そして、今度は高橋是清が財政を中心にどんどんと支出をする。同時に、金本位制を緩めて、金融を緩め、金利も下げるということにしました。
鈴木崇英ERI社長は、二〇〇四年、自民党森派、政治団体でいえば清和政策研究会に対して百万円を献金していたという報道があります。これは事実ですか。
およそ、一般の国民の沈黙の多数派、政治的にはこれはサイレントマジョリティーというんでしょうが、その声と少年法学者、弁護士団体、一部の精神科医、教育評論家、一部大新聞の論説など、識者と称する人たちのような、これは政治用語ではないので私の造語ですが、声高な少数派、ノイジーマイノリティーの声がこれほど根本的に食い違っている争点は少ないと思います。
それでは自治省にお伺いいたしますが、四月二十九日付の東京新聞で報道された河村文部総括政務次官の先ほど指摘をした森派政治資金管理団体への三千万円の政治献金の事実は、そのとおりでしょうか。
○照屋寛徳君 それでは、自治省にお伺いいたしますが、一九九五年から一九九八年の間に、先ほど指摘をした森派政治団体に五十嵐真一、五十嵐好子個人名義でなされた政治献金の額を明らかにしていただきたいと思います。
○小渕国務大臣 我が国は、カンボジアの安定のために明年五月の自由、公正な選挙が重要であり、そのためにラナリット殿下を含む反対派政治家が早急に帰国して選挙プロセスに参加する環境が醸成されることが肝要との立場でございます。
(拍手) しかし、政治の世界、順風満帆とだけは限らず、小渡先生は、その後一時は官界を去って野にあったのでありますが、昭和四十六年、周囲の熱烈な支持と期待を受け、琉球政府立法院議員補欠選挙で返り咲き、再び政界への復帰を果たされ、不死身の個性派政治家小渡三郎の存在を県民に強く印象づけたのであります。
次に、千代田経済懇話会など、総理の率いられるいわゆる福田派政治団体が五十一年中に十億円を超える大金を衆参両院の国会議員や秘書などに送っている事実も明らかになっておりますが、総理は、国民に対してこの事実をどのように説明せられるのでしょうか。しかも、これらの金はすべて表街道の金であります。
○林(孝)委員 最初に、中曽根派政治団体の虚偽の収支報告の問題に関して、自治省並びに警察庁にお伺いします。 この問題は、昨年三月三日の衆議院の予算委員会において、わが党の山田太郎委員が取り上げました。その四日後の三月七日に自治省に届け出が出された。
しかし、意見は対立しながらも、先生の体内からあふれ出る熱と力には、党人派政治家の真摯な姿勢がはっきりと感ぜられたのでありまして、私は、主義主張を越えて、心から敬服してやまなかったのであります。いまその上林山先生を失い、哀惜の情ひとしお深いものを覚えずにはおられません。 上林山先生は、明治三十六年、鹿児島県指宿市にお生まれになりました。
前の問題につきましては、新しい政治指導者をもって任じられる岸首相に、断固たる、従来の保守派政治の改革を一つやってもらいたい。あとの経済問題につきましては、新しい経済計画と、飛躍的国土総合開発計画の立案実施を敢行せられたいと思う。これのみが青少年に明るい希望を与え、愛国心を盛り上げることになると私は思うのでありまするが、総理大臣の所見はいかがなものでございましょうか。
全部を読み上げる煩を省略いたしますが、「ジャーナリズムや公聴会に代表される有力な世論は完全に無視され、また少数派の激しい批判の声も聞き入れられずに、重大な法案が続々と強引な多数決戦法によって押し通されて行く、これは真の議会政治ではなく、単なる多数派政治である。このような議会政治の運営の仕方は、言葉を強めて言えば、立憲的手段による独裁であり、また武器なきクーデターにもひとしいものである。
申し上げにくいのでありますが、忍びがたきを忍んで申し上げますと、落ちないで六回当選になっている者をも含めて、戦後派の政治家が少数の精神的復活を経たる戦前派政治家とともに、これが民主主義というものだ、これが平和国家というものだと、確信をもって苦心して打ち立てた民主主義的、平和主義的教育内容と、それに見合う教育制度、不思議に最近の世界的革新的の傾向に合致するところのそれらのとうとい成果を、どういう深い御事情
私はそういう観念が非常に重大だと思うので、実は多数派政治、議会政治は大統領政治とは違って、ほんとうは行政権と立法権の区別が、はっきりしない場合があるわけです。それは議会における多数党が政権を取り、衆議院の者が総理大臣になって行政権を支配するのだから、そこでそういう観念が非常に危険だと私は思うのです。というのは、たとえば多数党が政権を取って、多数横暴をやるやつが一番これは手も足もつかぬ。
もちろん現在の民主政治のあり方からいたしますると、やはり多数派政治でありまするから、そこに時に多数党による幾分の行過ぎもありましようけれども、それはなるべく多数派は少数派の意見も聞き、これを生かすという方向に持つて行つて、民主政治のルールを確立しつつその運営をやつて行けば、そうたいへんな弊害はないと思います。